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【東日本大震災】ロウソクの光で一晩過ごし家族で一致団結【実体験】

体験談
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2011年3月11日(金)14時46分18秒に発生した東日本大震災

当時私は母と猫二匹とフェレット2匹とで自宅にいました。

妹は高校生で、その時高校の教室にいたそうです。

青森県の津軽地方でも震度3を記録。

縦揺れで2~3分ほど揺れ続けました。

停電で信号機が点灯せず、行きかう自動車の譲り合い…。




KIKI
KIKI

今回は11年前の3月11日を振り返ろうと思います。

最近日本各地で地震が相次いでいて、
準備しておけるものも紹介します。





では、当時をストーリー形式でご紹介します。

どうぞ最後までご覧くださいね。






2011年3月11日 14時46分 地震発生

自宅で数分間縦揺れを感じる


当時私は自宅にいて、TVを観ながら母とお喋りをしていました。

いつもと変わらない普通の1日で、楽しく過ごしていました。



突然、揺れを感じました。

『地震だ』と感じ母と二人で『今回長くない?』と会話。

3分ほどで完全に縦揺れがおさまりました。



するとTVから速報が映し出されました。

『津波に注意してください。今すぐ避難してください』

え・・・まじ?怖いんですけど。



『やばくない?』

母は冷静で、じっとTVの速報を観ていました。



しばらくすると妹から母へ電話が掛かってきました。

『怖いから学校に迎えに来て』との事。



母は、妹を迎えに車で向かいました。



私は猫2匹とフェレット2匹とお留守番して待機。

動物たちはあっけらかんとした感じでとりあえず安心しました。





妹と母帰宅して、外の現状が分かりました。

『停電で信号止まってたし、ちょっと混雑してた』との事。



帰りに寄ったコンビニでもすでに食べ物は売り切れ。
何も購入できなかったそうです。




車を運転していて信号機が作動していないと、事故の可能性が高まります。

しかし、それが意外と違うって、後日判明しました。(次々の章で紹介します)






停電になり家族で使えそうなものを持ち合う


私は災害に無頓着だったのでライターくらいしか持ってませんでした。

母は、カセットコンロを用意しました。

妹は剣道で竹刀整備に使うためドデカいロウソクと発電するラジオを用意。



3月と言えど青森県は雪が消え切っておらず、気温も低いのです。

停電しているので電気を使うストーブは稼働できず…。

毛布を着たり、厚着したり、各々寒さ対策をしましたね。





日も暮れてTVも付かず部屋も真っ暗。

各自自分の部屋があったのですが、母の部屋へ集合しました。

母の部屋でロウソクに火をつけて小さな灯の元過ごします。




カセットコンロを使い、母が簡単に料理をしてくれて食事をします。

『カセットコンロ、便利だな』としみじみ有難みを感じましたね。




我が家の当時のトイレは、水洗だけども電気を使わないタイプでした。

トイレには困りませんでした。これは本当に良かったですね。




みんなでハンドルをグルグルまわして発電するラジオを聞きました。

よく聞き取れなかったですが、色々と大変なことになっているんだと思いました。





その日は家族で固まって就寝しました。

長く続く停電は、本当に不安な気持ちにさせました。

このままずっとなのかもしれない…なんて考えました。







ドラッグストアに緊急買い出し

翌日いつも行くドラッグストアに開店と同時に妹と向かいました。

停電がいつまで続くか不明だし、食料も確保しておきたいと考えたからです。

大きな震災は私と妹は初めてで、保存食などの用意はしていませんでした。



ドラッグストアに着くと、大大混雑

食料や日用品を買い求めて人でごった返していました。

人と人が密着するほど大混雑。

ドラッグストアの店内も停電で真っ暗でした。




『早く買わないと無くなる!』と袋ラーメンやインスタント麺を購入。

他の人の為にも節度ある個数を買いました。




いざ会計!と思い長蛇の列に並びます。

レジの場所からグルグルと列が伸び、店内の端まで伸びています。

正味1時間くらい待たされ、やっと自分たちの番になりました。



停電している中、店員さんはハンドスキャナーで商品を読み取り、
電卓で計算し、金庫からお金を出し入れしていました。

レジを体験した事のある私は
『・・・自分だったら正確に対処できんな…』とゾッとしました。


何とか会計を済ませ店内から人をかき分けて出ました。




すっごく混雑していましたがみんなきちんと待っていましたね。

窃盗する人ももしかしたらあの状況でいたかもしれません。

しかし、震災のあった翌日にきちんと開店してくれて感謝しきれません。

助かりました、感謝。






ガソリン給油のため探しまくる


母と私はそれぞれ車を所持し、運転して仕事へ行きます。

母が急に『ガソリン無くなるって!いつタンク車来るかわかんないって』とパニックに。

今のうちに満タンにしておこうという話になり、それぞれ出発。




未だに信号機は暗いまま。

『事故に遭うかも、怖い・・・』と考えていましたが、案外大丈夫でした。

対向車も自分も、他の道路の車も、徐行し譲り合いしていました。

母曰はく『信号ない方が案外事故起きないかもしれないね』との事。

ジョウダンではなく、案外そうかもと私も感じましたね。




安全運転でガソリンスタンドを探しに出発。

母の車の後ろを走り、田舎の方へ向かいます。

母の知り合いからの連絡で、『大きい町はすでにガソリン売っていない』と。




しかし、みんな考えることは同じ。

田舎へ行ってみ長蛇の列で、最大10ℓまでと表記が。

私は何とか満タンにできましたが母は半分くらいでした。



とりあえずガソリン購入出来てよかったと思いましたね。




青森県では1人1台車を持っています。

生活する上で車は本当に必需品で欠かせないものです。

車なら暖もとれるし生活スペースにもなります。



当時はいつまで続くかわからない状態に、とにかく不安で必死でした。




当時は私たち家族はガラケーで、
今のようにTwitterなどで簡単に情報が知ることは出来ませんでした。


ご近所さんや職場の同僚などからの経験談が情報でした。






2日目昼頃、電気復活


2日目のお昼ごろ、戦機が復活しました。

TVを観ることができ、今回の地震の深刻さを知ります。




多くの人が津波や地震の影響で亡くなったと知りました。



みんな今を生きようと必死だったのです。

津波なんて理科で模型の中で実験したものしか知りませんでした。



水の恐さ、痛感しました。

人って簡単に足をすくわれ流されてしまうのだと。




よくSNSでこの歌が使われています。



追悼の意味で作曲されたものなんだそうです。

歌詞もとても刺さるものなので、一度ご覧になってください。







楽天で買える防災グッズ紹介


当時は全く備えはしてありませんでした。

いつ災害に見舞われるか、誰にも予想付きません。

今回は災害の備えとして、いくつかご紹介します。



▼31種62点入りの防災バッグ


防災用品トップメーカーとプロの防災士がタッグを組んで開発されたバッグ。

白米はもちろん長期保存の効く飲料水、単三電池や昨日のラジオライト付き・ランタンなど様々なグッズが入っています。



▼5年も長期保存ができる食料38種50品セット


水だけで戻るアルファ米や、もちろん長期保存水、
かんぱんやクッキー、スープなど全部違う食べ物のセットです。

普段の買い置きにも向いているので、購入してみるのも良いかもしれません。







11年前にもきっとこういうセットが売っていたのだとは思いますが、やはり実際に経験してみると、いかに普段からの備えが必要か理解できます。



私も念のため、購入しようと思います。







まとめ


今回は、ストーリー形式で11年前に体験した、東日本大震災の経験をご紹介しました。

何が正しい選択なのか、右も左も分からないままの経験でした。



ずっと日本では全国で地震や災害が相次いでいます。

早めの準備・備えをしましょう。


・地震発生より停電
・食べ物を求めお店には大勢の住民たち
・ガソリン不足になる前に給油



以上を紹介いたしました。


最後まで読んでくださりありがとうございました。





災害で亡くなった方へ、被災した方へ、親愛を込めて。



へばびょん(^^)/

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